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今週のレコメンKYOTO!望月の歌

Kyoto Weekly

2018.12.03

少し前のことですが、産経新聞に面白い記事が掲載されていました。先月11月22日の深夜のお月様に関する記事です。その日のお月様は 平安時代に藤原道長が京の邸宅で、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んでから千年の満月でした。「望月の歌」は藤原実資の日記「小右記」の1018年(寛仁2)年10月16日の条に記されています。3人の娘が全員、后になることが決まった日で、オラオラだった自分のポジションを満月にたとえた歌とされています。新暦では11月にあたり、今年11月の満月は11月22日から23日に日付が変わる頃だったんだとか。道長はこの歌のおかげで、すっかり権力志向かつ、偉そうでイヤな奴っぽいイメージが、できあがっていますが、近年は「望月の歌」の新しい解釈が注目されています。新説を唱えているのは京都学園大学の山本淳子教授です。いわく、「この世」は「この夜」の掛詞で、「今夜は嬉しい」と、喜びの気持ちを詠んだのではないかというんですね。山本教授によると、歌が詠まれた10月16日は当時の暦では「望月(満月)」ではなく、藤原清輔の歌論書には、この歌とあわせて、献杯の様子が描写されています。「月」は天皇の后となった娘を暗喩していて、かつ、献杯の「盃」(さかずき・・さかづき・・さか月)が掛かっていると。つまり、娘の結婚と協調的な場の雰囲気を詠んだのではないか・・という新解釈なのです。そういった諸々を踏まえつつ、山本教授は「望月の歌」を現代訳しています。「私は‪今夜のこの世を、わが満足の時と感じるよ。欠けるはずの望月が、欠けていることもないと思うと。なぜなら、私の月とは后である娘たち、また皆と交わした盃だからだ。娘たちは三后を占め、盃は円い。どうだ、この望月たちは欠けておるまい」娘を思う父の心と詠めば、全く違った趣きがありますね。

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