インタビュアー:voice of KYOTO 宮下直樹氏
voice of KYOTO 宮下(以下 宮下)
日菓さんには既にイベントの企画内容に合わせた和菓子の創作を何度もお願いしているのですが、いつもはあえて聞くことのなかった?創作に対する想いなどを聞かせていただければと思います。
今回の エポケ・カフェ でのこちらのお菓子。作家「penetomain exhibition」の個展「トカゲの街」にちなんだものですが、創作にあたってのひらめきはどの辺から湧いてきたのでしょうか?
創作和菓子ユニット 日菓 杉山早陽子さん
今回のように作家さんとのコラボレーションにあたっては、作品をそのまま写し取ることはしないようにと思っています。作家さんのつくるその世界を覗いて、一回自分の世界に持ち込んでそこから発想するようにしてます。
宮下
作品を理解し自分たちの懐におさめた上で、根っこの部分からの発想を模索するとういことですね。
杉山さん
模写するのは、すごく嫌なんです。模写するのだったら、別にお菓子でなくても、私たちでもなくても、技術さえあればたぶん誰でも出来ると思うので、何かしら自分の世界に持ち込んだあとに発想することを心がけていますね。
今回は、テーマとなった小説を読んで、絵をみて、器をみて。そうして全部みた後に、小説の時間軸が「波」に感じたんです。その「波」のイメージを「波紋」としてお菓子に描いています。どのシーンのどの場面?というのではなく、完全に小説自体へのイメージです。
宮下
見た目にわかりやすい作品も多いですが、今回のお菓子はとても抽象的ですね。
杉山さん
そうですね。抽象的に表現する時には、何かをプラスしたくてもしないようにしてます。
宮下
引いていくことの方が大事と言われますが、例えば今回の創作にあたってプラスしたくなったことはありますか?
杉山さん
初めは、花が出てくるシーンがあったので花自身をカタチにしようと思ったんです。ですが、花にすると、全体を捉えていないと思ったんです。
宮下
登場するもののひとつでしかなかったということでしょうか。
杉山
花にしてしまうと、写し取ってしまいそうになったんです。
宮下
その「花にしてしまいたい」というのは、作品・モチーフに対して素直な衝動ってことですよね?それを一度辞めて、模写しないというところから今回のものづくりがはじまったというのがとても日菓さんらしいですね。
宮下
最近の「京都」だったり「日本」的なものは、足し算していることが多いように感じることがあるのですが、和菓子という伝統領域で活動されている日菓さんからみてどう思いますか?
杉山さん
多分ですが、もとあるものはシンプルなんだけれど、新しいことをしようとすると、足していくことしかみんなしないと思うんですよ。
宮下
もとがシンプル過ぎるというか、核心をつきすぎているから、それに対して、「新しく」どうこうしようというのは難しいですよね。
杉山さん
和菓子の領域でも、素材に洋素材を加えたりという動きがあります。小豆の味で、砂糖の味でいいやんと思うんですが、どんどん貼り付けていくことが多いですね。
私がキレイだなと思うのは、いっぱつで決めるくらいの手数の少ないもの。完成されたものは本当にキレイなんです。そこに行き着くには、もちろん技術も必要なんですけど。
宮下
小豆の風味だけでそもそもは勝負できるところに、洋菓子的な要素を足していくことは、和菓子ではない世界になってしまうのでしょうか。それとも、素材のシンプルさが台無しになることが問題なのでしょうか。
杉山さん
時代の流れとして、何か風味を足していくことが和菓子なのであれば、もしかしたらそれが何年も続いていけば、それも和菓子になっていくとは思うんですが、私はその波には乗りませんよ、という意味で出来れば風味は付けない。小豆の味はそれで十分に豊かなんです。
ただカタチ関しては、もっと見直すべきところがあるんじゃないかと思っています。もう一回立ち止まって、なにが、どういうものがキレイなのか美しく見えるかっていうのを見直すところにきていると思います。
宮下
京都の和菓子って、写実的でありながら抽象化されたものが多い気がします。その中でカタチを見直すっていうのは、結構難しい話ですよね。
杉山さん
やっぱり、抽象的と言っても写実的になってしまっているものもいっぱいあって、もちろん抽象的に残っていてキレイなものもあるから、その仕分けみたいなものを一回やりたいんです。
宮下
昔は和菓子って言っても、楽しみ方や日常との距離感みたいなものが用意されていて、それを買い手やもてなす側が使いわけていたはずですよね。いまはハレもケも、日常も非日常も全部ひっくるめて、和菓子ですがどうでしょう?みたいになっちゃってる感じもします。
杉山さん
和菓子のカタチをつくってきた人は、「こっちは写実で、こっちは抽象的ですよ」、ってわかっていたはずですよね。それが100年、200年、何百年と続いていくと伝言ゲームで、どっちがどっちかわからなくなって。。。それを繰り返し繰り返し、何となく続けるのは伝統の好きじゃないところですよね。
宮下
その惰性的な繰り返しに対して、創作和菓子というか和菓子というかは別にして、日菓の和菓子づくりっていうのは、あえて写実から離れるっていうことを大事にしているということでしょうか。
杉山さん
そうですね。ただ、私たちはそれを京菓子とは思っていないです。京菓子はやっぱり四季・花鳥風月の世界を表現しているものであって、私たちは花鳥風月の世界は表現していないんです。その要素が、時に入れこまれることもあるけど、それ自身が表に出るようにはつくっていないんです。あくまで、日常のひとこまであったり、本当に小さい出来事というか、目に触れたもの、面白いと思ったことをカタチにするっていうのを大切にして、伝統というよりも自分たちの表現の一部としてやっています。
宮下
花鳥風月って今の時代に口にすると古典の型みたいであったり、四季折々ということになるかもしれないのですが、当時はそれが身近なものであったり、身の回りの気づき・変化であったりしたわけですよね。という意味で考えると、さっきの話は今の時代における日菓さんなりの花鳥風月感っていうことになりそうなんですが。
杉山さん
そう言っていただけると、すごい嬉しいです。
今、聞いていて逆に思ったのは、御簾の間から覗く誰かの着物の裾を歌にして、その歌が和菓子になっていたりとか、例えば「雪の中に白い花があって、白い花だと気づかなかったよ」というのが歌になっていて、その歌が和菓子になっていたりとかそういう花鳥風月も実は日常だったと思うと、宮下さんのいう通りなのかもしれないですね。
宮下
世の中の動き、自然の流れ、人の感情、人と自然の景色の感じ合いみたいなことを日本の人たちは豊かに感じてきたと思うんですけど、日菓さんがやっていることも結局は一緒で、それを敢えて京菓子的なこととは違うと(拒絶ではなくて)断言するのは、今まで表現してきたものが、この時代の花鳥風月感と距離ができちゃったってことが原因なのかなと思いました。
杉山さん
源氏物語も枕草子の世界も素敵で好きな場面があったりもするけど、ただそこに共感できるか?と言われると、なかなか。結局想像の世界で、自分の日常には置き換えられない部分があって、たぶんそこが宮下さんのいう「距離感」なのかもしれないですね。
宮下
さっきの話で御簾の間から・・・というのがあったけど、日菓さんがテーマを解釈したうえで、別の表現のアプローチで和菓子を創作するというのは、御簾越しにチラ見していた人の気持ちとか見られていた人の気持ちと近いものがあったりしますか?
杉山さん
そうですね、近いと思います。ただ直接その人が前に居て直接見るというのではなく、覗くとか、ちらっと見えるとか。真正面からではなくて、イタズラな感じでしょうか。ちょっとドキドキしながら、私たちもその風景を覗くような感じかもしれないです。
宮下
今、あらためて話を聞かせてもらって、いい意味での「日本的なアプローチ」で創作をされていると思うんですけど、日菓さんの作られるものって一見して日本的なものには見えないものが多いですよね。創作を頼んだ人、そしてその場で食べる人からの反応はどういうものが多いですか?
杉山さん
おもしろいね、というのが多いですね。あ〜なるほど、とかいう言葉を期待してこっちも作っていて、そういう反応をみんなしてくれるので、、、「日本的ですね」っていうのは聞いたことがないです。
そんな中で、和菓子が嫌いな人が展覧会に来てくれたり、和菓子に携わってくれることが新鮮です。「和菓子嫌いだけどね」って言いながら、でも見てるっていうのが「やったな」と思います。(笑)
宮下
杉山さんと企画の話をしていて、近頃は基本的な所の立ち返りとか味自体のアプローチとかっていうのもなんとなく徐々に意識されてきていると思っています。ただ、はじめて日菓さんの創作和菓子と接する人には、見た目の感動の方が強いんだろうな、と思っていて。そのあたり、実際自分たちがやっていきたいことと受け取り手とのギャップは感じますか?
杉山さん
それは一番悩んでいることかもしれないです。京菓子の職人さんに言わせると、「味があってそこからカタチができる」っていうんです。でも私たちは、自分たちは職人と思っていないんです。カタチを先に決めてそこから味を決める、素材を選ぶ。アプローチの仕方が逆なんです。
でもその中で見た目から入ったとしても、例えば色をそんなに濃くしないとか、味を美味しくしようとも思うし口に入った時の食感とかも考えてはいるけど、職人さんが味から作るって聞いたときに、結局どっちかを天秤にかけた時に批准がどっちにかかっているか、職人さんはもちろん見た目も気にされているんだけれど味に批准がかかっている、私たちは見た目に批准が偏っている、そのお互いに職人さんも私たちもどっちも味も見た目も気にするけど、どっち寄りって話かなと思いました。
食べ物ですよって言ったら味かもしれないけど、私たちは「作品ですよ」って言い方をするので、それでいいかなと。
宮下
正直なところ、カタチから入った時に、味が犠牲なることはありますか?
杉山さん
色はすごく重要だと思う。実際に現実的に、あまり色が濃すぎると真っ青なお菓子とか食べにくいし、あんまり美味しく感じないなと思います。真っ赤とかもそうですよね。色の問題は、自分の中でこれ以上はダメだな、とか作りながら考えて実行していることですね。カタチのことは模索中。実際に職人さんにカタチを軽く否定されたことがあったのでそれに関してはいまだにわかっていない部分です。
宮下
カタチを否定されるのは、職人さんたちの型において、ってことですよね?
杉山さん
だと思います。京菓子は和歌の世界から作られているけども、それ踏まえてやっているので、言われてもそうなのかな?と思う部分もあったりはします。物理的にまんまるがおいしいか、カタチがちょっと変化している方がおいしいか、そこまでの実験はしていないですね。ただできあがったお菓子を見たときに「わぁ〜花や」とか、視覚でも楽しめたらその後で口に含んだ時の味は全然違うと思うんです。
宮下
和菓子について話を時に、京菓子のような型しかないのが議論するにも材料が足りていないような気がしますよね。少なくともカタチ、型をはずしたから味がまずくなることはない、と思ってしまいました。余談になりますが、僕はむしろ口に運ぶ際の道具に何を使い、どう切って食べてもらうかの方が味に直結する気がしちゃいます。(笑)
宮下
今日は、いつも踏み込まない領域の話をお聞きできてとても刺激的なんですが、日菓さんのことをはじめて知る方も中にはいらっしゃると思います。ここまで話を進めておいて、、、な気もしますが、お二人が活動する京都という街についてお聞かせください。
杉山さん
私は京都に住み始めて10年になるんですが、伝統の世界とサブカルチャーが平行して走っている感じがしています。京都には職人もいれば作家もいるわけですが、職人と作家っていうのは、決して交わらない存在だと思っています。私は欲張りなのでどちらも見てみたいと思って、和菓子屋で働いているわけです。
宮下
それはわかりますね。僕は職人の定義について、疑問を最近持つことが多いんです。
杉山さん
私が働いている和菓子屋ではお茶の先生から注文が入ってお茶会のお菓子をつくっているんですが、一方で、私はカフェで和菓子を出してます。その両者は絶対に交わることはないんです。私がお茶会のお菓子をつくることもなければ、職人さんがカフェのお菓子をつくることもない。でも同じ街で共存していて、平行して走っているというのが面白いんですよね。
宮下
作家と職人が違うっていうのは、京都中が抱えているジレンマというか、伝統文化において破綻している要因のひとつじゃないかと思うんですよね。作家と職人が分かれてていい時代と、分かれてはいけない時代があるとして、今は職人がより作家に近い立場でやらないと、もともとあった表現のカタチや価値観がうまく伝わらない時代になっちゃっていると感じるんです。だからこそ、より作家に近い存在として和菓子を創作している日菓さんの取り組みが、伝統を重んじるこの街で注目される機会が増えていることにつながっているんじゃないのかなと。
宮下
今の日菓さんを取り巻く環境を振り返ってもらって、自分たちがつくりたい世界観と求められているものは一緒だと感じますか?
杉山さん
あまり求められて...と感じたことはないですね。それは、いいバランスでリンクしているのかもしれなくて、有難いことに、そこに違和感を感じたことはないです。
職人の世界は、いかにお客様の意向にこたえるかというところで、お客さんの意図を汲み取るということをすると思うんですけど、私たちの場合は、キーワード・お題をもらって、そこに対して私たちが表現したいことをその中で演じる。職人さんより、自分たちの世界で創作できるので、その点が大きな違いであり、そこが私たちが職人と名乗らない部分なんです。
宮下
それってとても恵まれた環境ですよね。もう5年くらい活動していて、自分たちのアプローチや表現がはじめから素直に受け入れられていると感じましたか?
宮下
僕の周りにいる京都の外にいる企画・プロデュースをしている人からすると、京都は触りにくい、怖いというですが、杉山さんや前回のフジモトさんを含め、外からこの街に来てやっている人もいて、ドメスティックな感じがするけど、意外に外から来て楽しくやっているひとが多いですよね。京都いることでの創作のしやすさってなんでしょうか。
杉山さん
伝統の世界とサブカルチャーの世界を並行して走っているからこそ、新しいことに取り組んでいても比較できるっていう意味でやりやすさはありますね。
宮下
いわれるとなるほど!ってなるんですが、自分は日常的に取り組んでいてそれが中々実感できずにいるんです。なんでですかね。(笑)
そろそろインタビューも終わりにしなければなんですが、今後こういうシーンで自分たちのつくる和菓子を食べてほしいなと思うところはありますか?
杉山さん
単純に子ども達が和菓子を食べないのが寂しくて。自分もそうだけど、お母さんが和菓子を作ってくれてそれを食べたという思い出がないんです。洋菓子が主流で、子どもたちに和菓子が広がればいいなという思いで、給食!と。(笑)
杉山さん
いつか美術館に和菓子が並ぶ日が来ればいいなと。
宮下
美術館!ルーブルで風化した和菓子展とか・・・、冗談はさておき、展示が大変そうですね。
杉山さん
ショーケースに入れて、毎日ちゃんと展示を替えてやりたいです。確かに食べ物だから、風化するっていうのはもちろんそうだけれど、それを承知の上で、それくらい魅せられる和菓子をつくりたいというのが目標なんです。
宮下
僕のプロダクトをつくっている知り合いにも美術館で展示をやりたいと思っている人がいますが、美術館ってひとつの到達点なんですかね。
杉山さん
爪痕を残したいというか、時代対して意味のある創作をやってきたということを、ただの表現ではなく、意味があるものとして残したいんです。
あと、小学校で和菓子の授業をもちたいと思っていて、実際、来年母校でやります!
宮下
素敵ですね!楽しみです。ぜひ取材に行きたいです!
では最後に、α-STATIONへのメッセージをお願い致します。
杉山さん
田舎から京都の北区に引っ越してきた9年前、ラジオ局がある!と嬉しくてα-STATIONの前を行ったり来たりした思い出があります。9年後の今日、こうして20周年のお祝いができることを嬉しく思います。おめでとうございます!これからも楽しいラジオを楽しみにしております。